今井メロ(夢露)さんといえば、今まで何かとお騒がせで話題になってきましたね。
色々と世間を騒がせる彼女ですが、スノーボードに関してはもの凄い実績があり、様々な大会で優勝をされています。
その裏には、父親の驚くほどスゴイ教育がありました。
今回は今井メロさんの父親はどんな教育をしていたのか、また、今井メロさんの驚くほど壮絶な生い立ちについてお話ししていこうと思います。
【今井メロ】の生い立ち
先程お話ししたように、今井メロさんは、父親のスパルタ教育によって世界最年少(12歳)でプロスノーボーダーになり、大会では好成績を収めています。
そんな今井メロさん、ご存知の方も多いかと思いますが壮絶な人生を歩んでいます。
今井メロさんの20歳までの生い立ちをまとめました。
◆0歳~11歳
1987年10月26日、大阪市住之江区に生まれます。
父親の成田隆史さんは、当時ファッションカメラマンを職業としながら、スノーボードコーチをしていました。
メロさんが5歳の時に両親が離婚し、当時兄の童夢さんと弟の流星さんの3人兄弟でしたが、弟の流星さんは母親と共に家を出たので、2人兄弟で父親合わせて3人家族になってしまいます。
その後、父親が元モデルの女性と再婚して、弟の緑夢(ぐりむ)さんが誕生しました。
童夢さん・メロさん・緑夢さんは父親からスパルタ教育を受け、メロさんが5歳まではモーグル、6歳からスノーボードに転向したくさんの大会に出場しています。
◆12歳~高校生
12歳になり、世界最年少でプロスノーボーダーに認定されましたが、中学校へ進学すると反抗期の時期もあり、次第に父親に反発するようになります。
父親のスパルタ教育にも疑問を持ち始め、中学3年生くらいになると父親から逃げるように家出をするようになり、自ら児童保護施設に入所していた時期もあるそうです。また、精神面も不安定で、精神科病棟に1年程入院していたこともあるようです。
17歳頃に高校生3人組にレイプされるという被害に合い、心に深く傷がつきトラウマも抱えてしまいます。
◆18歳~
2005年の18歳頃に、父親とスポンサー契約のことや指導のことで対立し家を出て、母親と弟流星さんの所へ身を寄せることになります。
スノーボードに関しては、これまでもの凄い輝きを見せていた今井メロさんですが、2006年のトリノオリンピックでは、まさかの予選敗退という結果になりました。
この時の壮行会で披露したラップは、覚えている人もいるんではないでしょうか?結構話題になりましたよね。
意気込みはありましたが、結果が予選敗退だったため、トリノから帰国して1年くらい引きこもり生活をしていたんだそうです。
そんな今井メロさんの姿に母親も心配したのかバイトを勧めてきますが、それが原因で口論になり母親の元からも離れることになりました。
◆20歳~
20歳になってからの人生も壮絶なもので、
このようなことを乗り越えています。
子供は元夫3人それぞれに1人ずつ授かっており、現在3人のママとなっていますが、1番下の子は元夫が引き取っているそうです。
自分も母親になったからか、絶縁状態だった両親への感謝の気持ちを数年前にツイートしたものを発見しました。
今日は私のお誕生日❣️
私の両親へ
ママ、パパになり30年おめでとう✨そして私を産んでくれてありがとう
Mero pic.twitter.com/nXjuj9ZSgR— 今井メロ (@mero1026imai) October 25, 2017
つい数日前に、長女を施設に預けるということを発表し話題になっていますね👇
アメブロを投稿しました。
『告白』#アメブロ #今井メロ#長女
https://t.co/Y9V7Y4dH0x— 今井メロ (@mero1026imai) December 1, 2020
このことについても、今井メロさん本人は悩みに悩んで出した答えだったのでしょう。
【今井メロ】父親の教育は視聴者ドン引きのスパルタ教育
今井メロさんの父親は、スノーボードコーチである成田隆史さん。
今井メロさんは、兄の成田童夢(どうむ)さんと弟の成田緑夢(ぐりむ)さんがいますが、兄弟と共にスノーボードに対してスパルタ教育を受けていたといいます。
●幼い頃足を紐で縛られてモーグルスキーの練習をした
●自宅屋上にトランポリンを設置し、同じワザを100回しないと帰れない
●学校にテスト期間中しか行くことを許されない
●食卓のそばに布団が一枚敷いてあり、バク宙を10回してからじゃないと食事をとれない
●モーグルの一流選手でも躊躇するような急斜面のコースで「直滑降で降りてみろ」と言われた
●時にはこぶしが飛んでくることもあった
まだまだあると思いますが、今井メロさんは女の子だからということは関係なく、兄や弟と同じメニューをこなしていたそうです。
オリンピック選手に育て上げるために、超スパルタで口答えもできず父親は絶対!という存在だったそうですが、普段学校にも行けず四六時中練習だったというのには少々ビックリですね。
以前、弟の緑夢(ぐりむ)さんがテレビ出演されていた時に、父親のスパルタ教育について語っています。その時に23年前に放送された、成田家のドキュメンタリー番組の映像が流れました。
そこには、当時1歳の緑夢さんを浜辺の上に設置してある高さ160㎝ほどの棒にしがみつかせており、お父さんはサポートしていなかったので、緑夢さんは浜辺の上に落ちてしまいました。
また、このぶら下がる訓練は家でも同様、天井付近のでっぱりにしがみつかせる場面もありました。
その時に「失敗しても足骨折。だから死にはせん」と言い切っていました。
この番組をみた視聴者からは、「虐待では?」というような批判の声も多かったといいます。
このようなスパルタ教育受け、今井メロさんは様々な大会でも好成績を収めています。
2001年 | 全日本スキー選手権大会スノーボード競技 | 優勝 |
2002年 | 世界ジュニア選手権 | 優勝 |
2004年 | 全日本スキー選手権大会スノーボード競技 | 優勝 |
2005年 | ●スノーボード・ワールドカップ韓国・星宇大会
●ワールドカップ・レークプラシッド大会 |
優勝
3位 |
2004 – 05年 | シーズン ワールドカップ種目別 | 総合優勝 |
兄の童夢さんは以前、インタビューでこう語っています。
私のライバルは年の近い妹のメロです。妹は男の私と同じ量の練習をこなし、人一倍飲み込みも早かった。彼女の身体的センス、能力の高さが、当時は本当にうらやましかったですね
今井メロさんは、父親のスパルタ教育の他に、身体能力も高かったと思われます。
しかし、今井メロさんは2005年までは父親の成田隆史さんが代表を務める「夢くらぶ」に所属し、指導を受けていましたが、2005年9月にスポンサー契約、指導方法の違いなどから離脱しています。
この時に本名を、離婚して親権を持つ母親の今井姓に改名し、全国スキー連盟の登録名をカタカナの「メロ」と変更したようです。
当時、兄の童夢さんと一緒に家を出ましたが、大人になった現在では兄弟みんな父親に感謝していると言っており、家族仲は良好なようです。
【今井メロ】が子供を施設に入れるのは発達障害があるから?
2020年12月に入り、長女を施設に入れるという報告をして周囲を驚かせました。
幼い頃はイタズラ事で済んでいた件も今や結構、大事になったりして叱らざる負えない事態が続いたりしてきました
その中で長女も知恵がついてきて頻繁に嘘をつくようになった
挙句の果てには家出からの警察に保護
このように本人のブログに綴ってあります。
現在10歳の長男・9歳の長女と一緒に暮らしていますが、長男は自閉症の可能性があり、長女は体重1000㎎で産まれたために何らかの障害があると公表しています。
今井メロさんは、9歳になる長女まりあちゃんとよくぶつかっていたそうですが、母親としてまりあちゃんと色々な形で寄り添ってみたり、たくさんの方法を試したようです。
自身のブログによれば
私(親)の愛情が届いていないから構ってほしくて
本人なりの必死のアピールなのかなっと思い心のケアにも励みました
私なりに話を優しく聞いたり色々なやり方で接してみました
だけど直ることはなく悪化する一方でした
毎回、私なりにまぁこ(あだ名)に想いを伝えました
今井メロさんは、精一杯子供のために手を尽くしてきたことがうかがえます。
世間の反応は、「子供を捨てるなんて信じられない」といった批判的なコメントも多いなか、「施設に入れたからって不幸になるとは限らない」「よく正直に伝えてくれくれました。良い決断をされましたね」などの応援コメントもありました。
今井メロさんも、たくさん悩んで自分にと子供にとって最善の答えを出したのだと思います。
親子は一緒にいなければ幸せになれないというわけではない、親子の幸せはそれぞれなんだと考えさせられました。
まとめ
世界最年少でプロスノーボーダーになったり、出場する大会では優勝を繰り返し、オリンピックに出場するなど、はたから見たら幸せで充実した人生のように思えますが、実際は驚くほど壮絶な人生を歩んできた今井メロさん。
何かと世間を騒がせることも多い彼女ですが、今後の人生、子供さんたちも今井メロさん本人も幸せになってほしいと願うばかりです。
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