信長に猿!と言われていた豊臣秀吉ですが、肖像画によっては顎に生えた髭が何だか薄め?で特徴的ではありませんか?
戦国時代は戦国武将にとって、髭は勇猛さの象徴や武威を誇示するための身だしなみとされていました。
そんな中、秀吉のあの顎髭が付け髭だという説もあります。
秀吉の付け髭説についてお話ししていきたいと思います。
豊臣秀吉は本当に付け髭だったの?
秀吉は髭が薄いことをとても気にしていたようで、肖像画を描いてもらう時は付け髭を付けて描かせたと言われています。
この肖像画は少し髭が濃いので、付け髭をつけていたと思われます。
当時の付け髭ってどんなものだったのかも気になりますね。
豊臣秀吉の髭はもともと薄い?
戦国時代の武将にとっての身だしなみでもある髭ですが、秀吉は髭が薄いことにコンプレックスを持っていたようです。
確かにこの髭はちょろちょろっとした感じなので、勇猛さや武威を感じられませんよね。
どうやら、秀吉はもともと髭が薄かったようです。
それは織田信長のつけたあだ名ではっきりとわかります。
豊臣秀吉に織田信長がつけたあだ名は?
ドラマなどを見ていると、秀吉が猿に似ていることから、織田信長に猿とあだ名をつけられ呼ばれていますよね。
実のところ、猿ではなくもっと酷く残酷なあだ名がついていたということなのです!
そのあだ名も、『ハゲねずみ』・・・
現代なら間違いなくパワハラで訴えられていますよ!
なぜそんなあだ名をつけられたかと言いますと、ちょろちょろとした髭がみすぼらしくネズミのようだからなんだそうです。
普段は猿とハゲねずみのどちらで呼んでいたのかは定かではありませんが、秀吉の浮気癖に悩む秀吉の妻ねねが信長に相談したところ、信長がねねに宛てた手紙にこう記されています。
私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。
又々 かしく藤吉郎 女ども
のぶ
織田信長のイメージからは想像もできない程、優しい言葉ですよね。
実際にハゲねずみと記されているのにはビックリですが・・・。
まとめ
戦国時代の武将は、立派な髭が勇猛さの象徴や武威を誇示するための身だしなみとされていたそうです。
しかし、もともと髭が薄かった秀吉は、そのことをコンプレックスに思い、肖像画を描く時は付け髭をつけていたということです。
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