作家でもあり政治活動家でもある雨宮処凛さん、現在は『ゴスロリ作家』として自身の好みであるゴスロリファッションを楽しんでいます。
とても芯が強く個性的な女性に見える彼女ですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか?
雨宮処凛さんのファッションや若い頃のエピソードをまとめてみました。
雨宮処凛は若い時もゴスロリファッションだったの?
『ゴスロリ作家』として活動している雨宮処凛さんは、どうやら若い時からゴスロリファッションをしていたわけではないようです。
2000年「生き地獄天国」で作家としてデビューした20代前半は、パンクファッションを好んで着用していたそうですが、2008年1月の写真ではゴスロリファッションになっています。
雨宮処凛さんは1975年1月生まれで、写真が2008年1月のものなので、この頃32歳ということになりますね。
パンクファッションを経てゴスロリファッションの『ゴスロリ作家』になったということです。
次にとても個性的な雨宮処凛さんの生い立ちを紹介します。
【雨宮処凛】って本名?どんな生い立ちだった?
【雨宮処凛】とはペンネームであり本名ではありません。
本名だったら処凛(かりん)とはとても珍しいですよね。本名は〔wikiwand)によりますと河村信子さんということです。
雨宮処凛さんは幼い頃からのアトピー性皮膚炎が原因で、中学校からいじめを受け始めます。
高校生になると、中学校のいじめの反動から親にあたるようになり、次第に家や学校で居場所がなく不登校になって家出や自殺未遂を繰り返すようになります。
また、高校時代に夢だった卒人形作家を目指し、上京して美大受験に2度挑戦するも失敗してフリーターになりますが、そこでも行きづらさを感じ自殺未遂を繰り返します。
子供時代から辛い経験をした雨宮処凛さんの著書は、そんな経験からの「生きづらさ」が書かれているものが多数あります。
雨宮処凛はバンドのボーカルをしていた?今もバンド活動はしている?
雨宮処凛さんは、パンクファッションだった20代前半の頃からバンドを結成し、ボーカルをつとめていました。
【姫処凛】【維新赤誠塾】【大日本テロル】などを結成しています。
残念ながら【姫処凛】の動画は見つかりませんでしたが、【維新赤誠塾】と【大日本テロル】はコチラです⇩
【維新赤誠塾】
【大日本テロル】
とても迫力があり、パンクですね!!
【姫処凛】と【大日本テロル】はすでに解散しており、【維新赤誠塾】は現在も活動中ということです。
まとめ
雨宮処凛さんは、昔からゴスロリファッションだったわけではなく、パンクファッションを経てゴスロリファッションになりました。現在もゴスロリファッションでゴスロリ作家として活躍中です。
バンドは合計3つ結成していたようですが、現在【維新赤誠塾】だけボーカルとして活動中のようです。
子供の頃から、いじめ・自殺未遂・家出などとても辛い経験をしてきたからこそ、作家として濃く深い作品が出来上がったのでしょうね。
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